布川ひろきの生い立ちと家族|兄の影響で芸人へ、みちおを2度誘ったトム・ブラウン結成秘話

人物プロフィール

本名
布川大起
生年月日
1984年1月28日
身長
176cm
血液型
A型
出身地
北海道 札幌市
コンビ・グループ名
トム・ブラウン
相方・メンバー
みちお
結成年
2009年
所属事務所
ケイダッシュステージ
芸人活動開始年
2004年

長い髪を振り乱しながら「ダメ〜!」と叫び、みちおさんの突拍子もないボケを止めるトム・ブラウンの布川ひろきさん。

現在の姿だけを見ると、最初からあの独特な漫才を続けてきたようにも見えますが、若い頃をたどると、札幌の高校で柔道部の主将を務め、卒業後は相方のみちおさんとは別々にお笑いを始めています。

しかも、みちおさんをお笑いへ誘ったのは一度ではなく、高校卒業時と、その数年後の2回でした。

布川さんがお笑いを志した背景には、先に芸人を目指していた兄の存在がありました。

そこから札幌よしもとでのピン芸人時代、すすきのや狸小路で過ごした若手時代、トム・ブラウン結成、東京での長い下積みを経て、2018年のM-1グランプリで多くの人に知られるまでを順番にたどります。

布川ひろきの生い立ちと家族|札幌で育ち兄の影響でお笑いへ

布川さんは1984年1月28日生まれ、北海道札幌市出身で、本名は布川大起さんです。

所属するケイダッシュステージの公式プロフィールでは、柔道初段の資格を持つことも紹介されています。

札幌で育った布川ひろき、3兄弟の末っ子

布川さんは男3人兄弟の三男として育ち、後年にはテレビやラジオでも兄たちとのエピソードをたびたび話しています。

家族の中でも、布川さんの進路に直接関わったのがお笑い芸人を目指していた兄でした。

兄は勉強ができたこともあり、芸人になりたいという希望を両親から反対された一方、弟の布川さんがお笑いをやりたいと伝えた際には、意外にもすんなり認められたといいます。

芸人を目指した兄を見て、高校1年からお笑いの道を意識

兄がお笑いを目指す姿を身近で見ていた布川さん自身も、高校1年生ごろには芸人になることを考えていました。

「兄が芸人を目指した影響もあって、高1の頃からお笑いの道を目指していました」

高田馬場ジモア

高校を卒業してから進路を考え始めたのではなく、学生時代の早い段階ですでにお笑いが将来の選択肢になっていたことになります。

ただ、この時点では現在の相方であるみちおさんとコンビを組んでいたわけではありません。

札幌東陵高校の柔道部|みちおとの出会いは部活の勧誘

布川さんが進学したのは北海道札幌東陵高等学校で、ここで現在まで続くみちおさんとの関係が始まります。

2人の最初の接点は、お笑いではなく柔道でした。

柔道部主将として北海道大会団体ベスト8へ

高校時代の布川さんは柔道部の主将を務め、本人によるとチームは北海道大会で団体ベスト8まで進んでいます。

現在の細身で長髪の姿から「トム・ブラウン 布川 強い」「布川 柔道」と検索されることもありますが、柔道初段を持ち、高校でも本格的に競技へ取り組んでいました。

そんな布川さんが高校2年生のとき、「中学時代に相撲で全国大会へ行った新入生がいる」という話を耳にします。

1年後輩のみちおを教室まで柔道部へ勧誘

その新入生が、1学年下のみちおさんでした。

布川さんは直接1年生の教室まで出向き、みちおさんへ柔道部に入らないかと声をかけています。

突然やって来た上級生に、みちおさんは最初「ちょっと怖かった」と感じたそうですが、その後の新入生向け部活紹介で印象が変わりました。

柔道部の紹介を終えた布川さんが、体育館を前回り受け身をしながら退場していったからです。

意味は分からないけれど面白そうだと感じたみちおさんは柔道部へ入り、先輩と後輩として一緒に過ごすことになりました。

みちおさんは途中から「タメ口でもいいですか?」と布川さんへ尋ね、1学年違いながら次第に友人に近い距離感になっていったと後年語っています。

高校卒業時に「お笑いやらない?」と誘うも一度断られる

高校生活が終わるころ、芸人になることを決めていた布川さんは、柔道部で気が合っていたみちおさんへ一緒にお笑いをやらないかと声をかけました。

ところが、みちおさんには別の夢がありました。

当時はプロのスノーボーダーを目指していたため、布川さんからの最初の誘いを断っています。

高校の柔道部へ誘ったのも布川さん、お笑いへ最初に誘ったのも布川さんでしたが、この時点では2人の進路はいったん分かれました。

高校卒業後に札幌よしもとへ|コンビ解散とピン芸人時代

みちおさんがスノーボードの道へ進んだ一方、布川さんは高校卒業後、そのまま札幌でお笑いの世界へ入りました。

ここから現在のトム・ブラウン結成までは、数年間別々に活動しています。

最初の相方が芸人を辞め、あるあるネタのピン芸人へ

布川さんは札幌よしもとへ所属し、活動初期には別の相方とコンビを組んでいました。

ところが、その相方がお笑いを辞めたことでコンビは解散し、その後は主にピン芸人として活動するようになります。

ピン時代にやっていたのは、当時テレビでもよく見られたような「あるあるネタ」でした。

現在のトム・ブラウンの漫才とはかなり違うスタイルですが、札幌ではこのピン活動を続けながらローカル番組にも出演していました。

ライブでは最下位続きも、テレビ出演から東京を意識

テレビに出ていたといっても、札幌よしもと内で順調に評価されていたわけではありません。

布川さんは後年、当時の札幌よしもとでは正統派の芸人を育てる雰囲気があり、自分のネタはそこに合わず、ライブではだいたい最下位だったと明かしています。

そんな中、東京から吉本興業の関係者が来た際に、布川さんだけが当時のお笑い専門チャンネル『ヨシモトファンダンゴTV』へ出演する機会を得ました。

札幌では評価されにくい一方で東京につながる仕事が生まれたことで、次第に「東京へ出たほうがいいのではないか」と考えるようになります。

狸小路の路上ライブとすすきので過ごした札幌芸人時代

札幌で芸人をしていたころ、布川さんたちにとって大きな場所だったのがすすきのと狸小路でした。

ライブ後にはすすきので飲み、金銭的に余裕がない時期には、安いお通しと飲み放題を組み合わせて食事を済ませることもあったと話しています。

舞台の数が東京ほど多くなかった札幌では、狸小路にある店のシャッター前で路上ライブも行いました。

「声を張り上げないとお客さんに届かない。そのため自然と大声を出すようになり、今の芸風につながった気がします」

サッポロビール公式メディア CHEER UP!

周囲にはストリートミュージシャンが並び、その中で通行人へ声を届けようとした経験は、現在の大声を使ったツッコミとも重なります。

みちおをもう一度誘い、トム・ブラウンを結成

布川さんが札幌で活動を続けていたころ、いったんお笑いを断ったみちおさんにも変化が起きていました。

その変化によって、高校卒業時には実現しなかった2人のコンビ結成が現実になります。

別コンビの解散を繰り返していたみちおを居酒屋で再勧誘

みちおさんはスノーボードの専門学校へ進んだものの、周囲のレベルの高さや仲間の大きなケガを目にし、プロを目指す道から離れました。

そのころ、北海道のテレビに出ていた布川さんを見て、自分もお笑いを始め、別の相手とコンビを組むようになります。

ただ、コンビを組んでは短期間で解散することを何度か繰り返していました。

その状況を知った布川さんが、今度は居酒屋で改めて声をかけます。

高校卒業時に一度断られた相手を、布川さんが数年後にもう一度誘ったことでトム・ブラウンが動き出しました。

布川さんは、養成所で初めて会った人物と組むより、高校時代から知り、言いたいことを言えるみちおさんのほうが一緒にやりやすいと考えていたことも話しています。

2009年1月12日に結成、最初はコント中心だった

M-1グランプリ公式サイトでは、トム・ブラウンの結成日は2009年1月12日とされています。

コンビ名は、2人が好きだった漫画『ペナントレース やまだたいちの奇蹟』に登場する外国人選手の名前から取られました。

現在は漫才のイメージが強い2人ですが、結成当初はコントを中心に活動し、布川さんがネタを書いていました。

布川さんがボケ、みちおさんがツッコミを担当する形も試したものの、みちおさんが用意されたツッコミをうまく言えず、役割も試行錯誤していたそうです。

上京直前の初単独で8本のネタを用意

東京へ出ることを決めた2人は、2009年、札幌のBLOCHで単独ライブを開催しました。

東京では札幌よりライブの数が多いため、ネタをたくさん持っていたほうがいいと先輩から助言され、いきなり8本を用意しています。

ところが前日になっても、みちおさんは7本を十分に覚えていませんでした。

当時出演していたコミュニティFMのスペースを夜から借り、朝5時ごろまでほとんど眠らずネタ合わせを続けています。

みちおさんが立ったまま寝そうになるため、起こす係として後輩芸人まで呼び、それでも本番では客から反応を得られました。

上京を前にした2人にとって、自分たちのネタが客前で通用する感触を初めてはっきり得た舞台になりました。

上京後のトム・ブラウン|オーディションと芸風の試行錯誤

札幌を離れた2人は東京でライブやオーディションを受け始めますが、札幌で得た手応えがそのまま続いたわけではありません。

ここから2018年のM-1までには、長い試行錯誤の時期がありました。

上京直後は手応えを得るも、8か月連続でオーディション落選

上京後はマセキ芸能社のネタ見せなどへ足を運び、最初のころは続けてオーディションに通ることもありました。

ところが、木村カエラさんを題材にしたネタで落ちたあと、同じネタをもう一度持っていくなど迷走し、そこから状況が変わります。

結果として8か月連続でオーディションに落ちる時期を経験しました。

そこでオーディションへ通い続けることをやめ、フリーライブで強いネタを作ることに集中します。

ケイダッシュステージ所属へ、コントから漫才中心に変化

フリーライブで使えるネタが何本かできたころ、先輩芸人からケイダッシュステージのネタ見せに誘われました。

そこでライブへ出られることになり、現在まで所属するケイダッシュステージにつながっていきます。

このころ、布川さんには自分が作ったセリフをみちおさんが話すと、どうしても「言わされている」感じが出てしまうという悩みがありました。

あるライブで準備が間に合わず、ほぼアドリブで漫才をやったところ、それまでより反応が良かったことから、次第に漫才中心へ移っていきます。

ネタ作りも布川さん一人から変化し、みちおさんが発想を出し、布川さんが構成を整えながら2人で作る現在に近い形ができていきました。

客が席を立つほど受けなかったライブ時代

事務所ライブでは上位クラスへ進むこともありましたが、客から支持されていたとは言いにくい時期が続きます。

「僕らが出てきたらトイレに行く人とかいましたから」

テレビ朝日 logirl

本人たちは自信のあるネタを作ったつもりでも、一部のライブでは受けるのに、広い客層の前へ出るとうまく届かない状態でした。

テレビ番組でネタを披露する機会を得ても、何をやっているのか理解されないこともあり、2人は何度もネタの形を変えています。

約15年のアルバイト生活|売れない時代に生まれた合体漫才

東京でライブを続けても、芸人の仕事だけで生活できる状態にはなかなか届きませんでした。

布川さんの生活を長く支えていたのがコンビニでのアルバイトです。

札幌から新橋まで6店舗、コンビニで約15年間働く

布川さんは2026年の自身のエッセイで、売れる前のアルバイト生活を詳しく振り返っています。

「コンビニで約15年バイトをしていました」

ダ・ヴィンチWeb掲載記事

勤務した店舗は、札幌北24条駅、北海道庁、浜松町、南青山、新橋など計6店舗に及びます。

札幌時代から東京へ出たあとまで続いており、トム・ブラウンの下積み期間とコンビニ勤務は長く重なっていました。

テレビで姿を見かけるようになってから突然始まった芸人人生ではなく、その前にライブとアルバイトを往復する期間が何年も続いていたことが分かります。

2016年、みちおの「一休さんを5人合体」からネタが生まれる

大きな変化が起きたのは2016年でした。

単独ライブを控えた2人は、当時「サッチ」で活動していた神田慶太郎さんにネタを見てもらい、普段とは違うものも一本作ってみてはどうかと勧められます。

そこで、みちおさんが出したのが「一休さんを5人集めて合体させる」という発想でした。

後にトム・ブラウンの代名詞となる「合体漫才」は、この2016年の単独ライブへ向けたネタ作りの中で生まれました。

最初から完成されていたわけではなく、どう合体を表現するのか、布川さんがどうツッコむのかも分からない状態から2人で形を作っています。

単独ライブでは、それまでのネタと違い、笑いが起きたあとにも客席にざわつきが残る反応がありました。

M-1敗退と芸人を辞める選択肢

手応えを得た合体ネタを持って2016年のM-1グランプリへ挑みましたが、結果は2回戦敗退でした。

布川さんは新橋の富士そば前で結果を確認し、追加合格にも入っていないことを知って膝から崩れ落ちたと話しています。

それでもネタを捨てなかった理由の一つが、周囲の芸人からの反応でした。

ハマカーンの浜谷健司さんは2人を食事へ誘い、合体ネタを高く評価したことで、自分たちの方向性への自信を与えています。

翌2017年はM-1準々決勝まで進みましたが、決勝には届かず、布川さん自身、一度はお笑いを辞めることまで考えていました。

長髪と「ダメ〜!」が完成|2018年M-1決勝への道

合体ネタ自体はできていましたが、2018年にテレビで見た形へ近づくまでには、ネタの内容だけでなく見た目や見せ方にも変更が加えられました。

その過程で重要な助言をした一人が、同じケイダッシュステージの先輩オードリー・若林正恭さんでした。

若林正恭の助言でウィッグをかぶると客の反応が変化

2017年のM-1で敗退したあと、若林さんは合体ネタ自体を評価しながら、真面目そうに見える布川さんが突然「ダメ〜!」と叫ぶため、客が笑う前に驚いているのではないかと指摘しました。

さらに、外見からも普通のツッコミではないことが伝わるよう、髪形を変える案が出ます。

「髪を伸ばしてみたら?」

ORICON NEWS

辞めることも考えていた布川さんは、もらった助言を一度は全部試そうと考え、まずウィッグを購入しました。

実際に長髪の姿でネタをすると、それまでより明らかに客の反応が良く、現在の布川さんを象徴する長髪が芸風の一部になっていきます。

みちおさんも衣装を変え、合体する際の動きを大きくするなど、2人は2016年から使っていたネタを細部まで調整していきました。

「あと1年」と決めて挑んだ2018年

2018年のM-1は、単に毎年出場していた賞レースの一つではありませんでした。

長い下積みを続ける中で、2人はこの年の結果次第では芸人を辞めることも考えるほどの状態で挑んでいます。

予選では、それまで客から警戒されることも多かった2人に対して、舞台へ出た瞬間から受け入れられている感覚が生まれました。

さらに、ウエストランド井口浩之さんや、だーりんず小田祐一郎さんら周囲の芸人からも細かな助言を受け、言葉一つの間まで修正しています。

そして2018年、トム・ブラウンは初めてM-1グランプリ決勝進出を決めました。

「地下ライブから上がってきたのは僕らだけ。地下に夢を見させたいと思います」

M-1グランプリ公式サイト

M-1初決勝で生活が大きく変わる

2018年12月2日の決勝では、トム・ブラウンは633点で6位。

有名人やアニメのキャラクターを次々に合体させようとするみちおさんと、それを大声で止める布川さんの漫才は、初めて全国放送で見る人にも強い印象を残しました。

決勝進出が決まった夜には、浜松町のそば店でみちおさん、布川さん、マネージャーの3人で乾杯しています。

ところが、張り詰めていたものが切れたように布川さんはその直後から声が出なくなり、みちおさんによると10日ほど声が出せない状態が続いたそうです。

長くライブとアルバイトを続けていた2人にとって、M-1優勝ではなく、この2018年の初決勝進出が仕事量を大きく変える転機になりました。

M-1後もネタを続けた布川ひろき|札幌から現在まで

M-1初決勝後にテレビ出演が増えても、トム・ブラウンはネタから離れませんでした。

布川さん自身も、全国でライブを行い、ネタで評価されることを目標として語っています。

2024年M-1、2025年キングオブコントへ

2018年の初決勝から6年後、トム・ブラウンはラストイヤーとなったM-1グランプリ2024で再び決勝へ進出しました。

公式結果では823点で6位となり、2018年とは別のネタで再び決勝の舞台に立っています。

さらに2025年には、漫才師として広く知られてきた2人がキングオブコントで初の決勝進出を果たしました。

結成当初はコント中心だったトム・ブラウンが、漫才で2度M-1決勝へ進み、その後コントでも日本一を争う決勝まで進んだことになります。

「一番面白かったねって言われたいです」

TBS『キングオブコント2025』

全国ツアーと北海道の冠番組、札幌との関係は現在も続く

2026年もトム・ブラウンは単独ツアー「僕は僕のよこがおを知らない」で全国各地を巡り、札幌公演も行いました。

2026年9月には東京公演を終え、11月30日にはツアーを締めくくる明治座公演が予定されています。

テレビでは、北海道出身のオズワルドと組んだ札幌テレビの冠番組『道産人間オズブラウン』にも出演しています。

布川さんは札幌時代、狸小路で通行人へ届くよう声を張り、すすきので仲間と飲みながら芸人を続けていました。

高校の柔道部へみちおさんを誘ったことから始まった2人の関係は、一度断られたお笑いへの誘い、札幌での別々の活動、再度の勧誘を経てトム・ブラウンというコンビになりました。

売れない時期には約15年にわたってアルバイトを続け、客が席を立つライブも経験しながらネタを変え、髪形まで変え、2018年に初めてM-1決勝へ進出しました。

現在も全国で単独ライブを続け、漫才だけでなくコントでも決勝へ進んだ姿を見ると、札幌で「とにかく舞台に立ちたい」と路上に立っていたころから、ネタを続ける流れは途切れていません。

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