人物プロフィール
元祖いちごちゃんの植村侑史さんは、ハイパーペロちゃんと組み、長い「間」と不穏な展開を生かしたコントを続けてきた芸人です。
2025年に結成11年目で初めてキングオブコント決勝へ進み、2026年9月には2年連続となる決勝進出を決めました。
現在は大きな舞台に立つようになった植村さんですが、芸人への憧れが生まれた場所は、テレビ番組の選択肢も少なかった北海道新ひだか町でした。
小学生のころから芸人になると言い、高校時代に先生から渡された一枚のビラをきっかけに進路が動き始めます。
18歳のときには、5万円だけを持って北海道から東京へ上京しました。
そこからNSCでハイパーペロちゃんと出会い、一度はコンビ結成を断られ、トリオを何度も組み替え、舞台にほとんど立てない時期も経験しながら現在の元祖いちごちゃんへたどり着いています。
植村侑史の生い立ちと家族|北海道新ひだか町の洋服店で育つ
植村侑史さんは1989年12月4日生まれ、北海道出身で、幼少期は北海道の日高地方にある新ひだか町で過ごしました。
現在の所属事務所・浅井企画では出身地を北海道としており、本人は後年のインタビューで、子ども時代を過ごした場所を新ひだか町と話しています。
テレビがあまり映らない環境で『めちゃイケ』が大きな楽しみだった
植村さんが育った地域では、子どものころに見られるテレビ番組が今ほど多くなかったそうです。
そんな生活の中で楽しみにしていたのが、フジテレビ系のバラエティー番組『めちゃ×2イケてるッ!』でした。
特に極楽とんぼが好きで、テレビの中で人を笑わせている姿を見ながら、「どうすれば『めちゃイケ』に入れるのか」と考えていたと語っています。
このころの植村さんにとって、お笑い芸人とは舞台で漫才やコントをする人というより、バラエティー番組の中で活躍する人というイメージでした。
「俺はお笑いをやる、コメディアンになる!」
logirl
本人によると、この言葉を口にしていたのは小学3年生のころでした。
小学3年生で「コメディアンになる」と口にする
子どものころから人前でネタを作っていたというより、最初にあったのはテレビの世界そのものへの憧れでした。
『めちゃイケ』を見ながら芸人を意識し、小学生の段階ですでに将来の仕事としてお笑いを口にしていたことになります。
「芸人になりたい」という希望は、高校で突然生まれたものではなく、小学生のころから続いていました。
ただし、この時点では養成所の存在も、芸人がネタを作って劇場へ出る仕組みも知りませんでした。
洋服店を営む家族と、地元を出ることを勧めた両親
植村さんの家庭は、本人の言葉では「洋服屋」でした。
周囲には漁業や農業に関わる大人も多く、地元で生まれ、そのまま同じ地域で生活を続ける人が珍しくない環境だったといいます。
後年には趣味としてファッションを挙げ、芸人になってからファッションセンターしまむらのモデルも経験しているため、洋服は植村さんの人生の別のところでも登場します。
芸人を目指したとき、両親は地元へ残るよう止めるのではなく、外へ出るなら東京へ行くよう勧めました。
「どうせお笑いやるなら東京行っちゃえば?」
logirl
植村さん自身は、いきなり北海道を出ることに怖さも感じていましたが、同時に外の世界を見てみたい気持ちも持っていました。
北海道浦河高校時代|M-1甲子園のビラからNSCを知る
植村さんの出身高校は北海道浦河高等学校です。
芸人になるという希望を持ちながら高校生活を送っていましたが、その夢を実際の進路へ結びつけたのは高校2年生のころでした。
芸人志望を知っていた国語教師がM-1甲子園を勧める
高校2年生のある日、国語の先生が植村さんのところへ「M-1甲子園」のビラを持ってきました。
先生は植村さんが芸人を目指していることを知っており、出場してみてはどうかと声をかけたそうです。
小学生のころから口にしていた夢を、高校の先生まで知っていたことが分かるエピソードです。
ただ、このM-1甲子園には出場しませんでした。
片道約6時間・5000円で出場は断念、それでもNSCという進路を知る
大会の開催地までは、植村さんの自宅から電車で約6時間かかり、交通費も片道約5000円必要でした。
さらに一緒に出場する相方もいなかったため、M-1甲子園への参加は見送ります。
しかし、ビラの小さな文字に「優勝するとNSCの授業料免除」という案内がありました。
そこで初めてNSCという言葉を知り、家に帰って両親にパソコンで調べてもらいます。
M-1甲子園には出なかったものの、その一枚のビラから「お笑いを学ぶ学校がある」と知りました。
当初は北海道内でお笑いを学ぶ道を考えていた植村さんに、両親が東京行きを勧めます。
両親に背中を押され、18歳で5万円を持って東京へ
高校卒業後、植村さんは大学などへ進むのではなく、お笑いの道へ進むことを選びました。
18歳で北海道を離れ、東京へ向かいます。
そのとき手元にあったお金は5万円でした。
大きな貯金や東京での芸能活動の経験があったわけではなく、まずは東京NSCへ入り、そこから芸人としての生活を始めています。
現在のプロフィールだけを見るとKOCファイナリストという経歴が目に入りますが、その入口にあったのは、高校教師が持ってきたビラと両親の後押しでした。
東京NSC14期へ|ネタを知らずに入りハイパーペロちゃんと出会う
上京した植村さんは、東京NSC14期へ入ります。
ここで後に長く一緒に活動することになるハイパーペロちゃんと出会いました。
入学して初めて「芸人はネタをやる」と知る
ところがNSCに入った植村さんは、すぐに想像していた芸人生活との違いに気づきます。
それまで『めちゃイケ』のようなバラエティー番組に憧れていたため、NSCを卒業すればテレビへ出ていくものだと思っていました。
漫才やコントを作り、舞台に立ち、何度もネタを試しながら活動するという過程を、ほとんど知らなかったそうです。
「ネタもやらなきゃいけないんだ」
LIVE GAGA
テレビへの憧れから始まった植村さんは、ここから初めて「ネタを作る芸人」としての時間に入っていきます。
最初のネタ授業で強烈にスベったペロちゃんが印象に残る
NSCの最初のネタ授業では、講師からネタをできる人がいるか尋ねられました。
教室の誰もなかなか手を挙げない中、最初に前へ出たのがハイパーペロちゃんでした。
ペロちゃんが披露したのは、ひとりで壁にボールを投げ、跳ね返ったボールが自分に当たる動きを繰り返すというネタでした。
植村さんは後年、そのときのペロちゃんについてものすごい勢いでスベっていたと笑いながら振り返っています。
それでも教室で最初に手を挙げたことで、周囲の生徒たちも次々とネタを披露し始めました。
この時点では、植村さん自身が将来その人物と長くコンビを続けるとは考えていませんでした。
夏合宿の残り者3人で「とんちんかんぷん」を結成し大会3位へ
NSC入学当初、2人はそれぞれ別の相方と活動していました。
ペロちゃんは植村さんとは別の「ウエムラ」という人物とブルーバードを結成。
植村さんにも別の相方がいましたが、夏合宿へ参加するころには互いに本来のコンビで活動できない状態になっていました。
そこで同じ部屋になった植村さん、ペロちゃん、もう1人の3人が、その合宿中だけの即席トリオ「とんちんかんぷん」を組みます。
植村さんがこのとき初めてネタを書き、合宿最後のネタ大会へ出ると、結果は参加者の3位でした。
それまでNSCで目立った結果を残していなかった3人が、即席で組んだトリオで初めて大きな手応えを得ました。
一度断られた相方と再び組む|「いちごちゃん」から「元祖いちごちゃん」へ
夏合宿での3位は、植村さんにとってネタ作りへの自信が生まれる出来事になりました。
その一方で、現在のコンビがそのまま始まったわけではありません。
初めて書いたネタに手応えを得るも正式結成を断られる
初めて自分で書いたネタが合宿で評価され、植村さんは手応えを感じました。
合宿後、ペロちゃんともう1人へ「正式に3人で組まないか」と声をかけます。
ところが、返事は2人とも断るというものでした。
特に、NSC最初のネタ授業で強烈にスベっていたペロちゃんからまで断られたことが植村さんにはこたえました。
植村さんは落ち込み、約1カ月にわたってNSCの授業を休みます。
約1カ月後、ペロちゃんから「やっぱ組みましょうか」と声をかけられる
久しぶりにNSCへ戻ると、その間にペロちゃんが組んでいたブルーバードは解散していました。
そこで今度はペロちゃんのほうから植村さんへ近づきます。
「やっぱ組みましょうか」
logirl
一度は断られた植村さんでしたが、この誘いを受け、2人で活動を始めます。
現在まで続く2人の関係は、植村さんからの誘いが一度断られ、その後ペロちゃん側から誘い直す形で始まりました。
「いちごちゃん」「まめぞう」などトリオを何度も組み替える
ただし、2人は当初から現在のようなコンビが完成形だと考えていたわけではありません。
夏合宿のトリオで結果が出た経験があったため、植村さんたちは長く「3人のほうが自分たちに合う」と考えていました。
合宿の「とんちんかんぷん」から2人になったときは「いちごちゃん」と名乗り、その後ツッコミ役を加えて「まめぞう」を結成。
そのトリオを解散した後には別のメンバーを入れ、再び3人組の「いちごちゃん」として活動しています。
植村さん自身も当時はボケをやりたかったため、別にツッコミ役を置こうとしていました。
メンバーが替わってもトリオを続けた時期は数年に及び、植村さんは個人名も「パンチョ植村」「ご先祖さま」など何度か変更しています。
2014年に最初の2人へ戻り「元祖いちごちゃん」を結成
トリオを続けていたものの、メンバーの脱退などを経て、植村さんとペロちゃんの2人だけで活動することになります。
最初に2人で名乗っていた「いちごちゃん」へ戻ったため、コンビ名には「元祖」が付きました。
「元祖」という言葉には、2人が好きだった漫画『元祖!浦安鉄筋家族』の影響もあります。
「いちごちゃん」のほうは、2人で話していたマクドナルドで目にしたいちごシェイクの看板と、2人とも読んでいた漫画『いちご100%』から生まれました。
正式な結成年は2014年10月15日です。
NSCで出会ってから約6年を経て、植村侑史とハイパーペロちゃんの2人による「元祖いちごちゃん」が現在の形になりました。
吉本からフリー、オフィス北野へ|舞台に立てなかった若手時代
コンビの形が固まっても、仕事がすぐ増えたわけではありません。
むしろ植村さんの若手時代には、現在のKOC決勝とは大きく異なる時間が続いていました。
ネタ見せを通れず、ビラ配りや手伝いが続いた吉本時代
吉本所属時代の元祖いちごちゃんは、本社で行われるネタ見せをなかなか通過できませんでした。
最も下のランクのライブに在籍し、舞台に出るよりもビラ配りやライブの手伝いをする時間が多かったといいます。
「数年間いたけど、舞台には10回も出てないと思いますね」
logirl
「下積みが長かった」という言葉だけでは分かりにくいですが、数年単位で所属しながら舞台経験自体がほとんど増えなかった時期でした。
1分ネタ全盛期に長い「間」のコントが噛み合わなかった
当時は『爆笑レッドカーペット』のように、短い時間で次々とボケを見せるスタイルが注目されていました。
元祖いちごちゃんのネタは、現在では長く取る「間」が特徴の一つになっています。
しかし1分ほどの短いネタでは、その「間」を取っているうちに時間が過ぎ、1〜2個のボケで終わってしまいました。
後に武器になる「間」は、若手時代には短いネタの時間制限と相性が悪い要素でもありました。
吉本を離れた2人はフリーでの活動を挟み、新しい所属先を探します。
オフィス北野への挑戦で初めて「間」を武器だと知る
2016年、元祖いちごちゃんはオフィス北野への所属を目指しました。
ビートたけしさんがいる事務所だったことに加え、当時の若手芸人たちと交流があったことも理由でした。
ところが所属への道は簡単ではなく、最初にサンキュータツオさんへネタを見せた際には厳しい言葉を受けます。
その後、ペロちゃんがもう一度2人だけで挑戦することを提案しました。
再びネタを見せると、今度は反応が変わります。
「すごい間だね」
logirl
植村さんたちは、この言葉で初めて自分たちのネタにある「間」を特徴として意識しました。
短いネタでは邪魔になっていた「間」が、ここで初めて他人から長所として評価されました。
約2年かけて所属するも環境が変わり、再びフリーへ
オフィス北野では、ネタ見せを通過しただけでは所属できませんでした。
「チャレンジコーナー」で結果を残し、その先にある審査会へ進む必要がありましたが、当時はキュウやランジャタイらも参加しており、元祖いちごちゃんはなかなか勝てませんでした。
最終的にはスタッフの推薦で審査会へ進み、客席から80%以上の票を得て所属が決まります。
所属までにかかった期間は約2年でした。
ところが、その直後にオフィス北野を取り巻く環境が大きく変わり、2人は再び次の所属先を探すことになります。
植村さんは2016年から2018年ごろまでの出来事として振り返っており、2019年1月に浅井企画へ所属しました。
2019年に浅井企画へ|しまむらモデル、家族、KOCでの前進
浅井企画へ入ると、植村さんたちを取り巻く仕事の環境にも変化が出始めます。
すぐに大ブレイクしたわけではありませんが、オーディションやテレビにつながる機会が以前より増えていきました。
浅井企画加入後にオーディションが増え、しまむらモデルも経験
ペロちゃんは、浅井企画へ入って初めて「世の中にはこんなにオーディションがあるのか」と感じたと話しています。
植村さん個人には、お笑いとは少し違う仕事も入りました。
浅井企画の公式プロフィールには、2019年から2020年にファッションセンターしまむらのスチールモデルを務めた経歴が掲載されています。
子ども時代に洋服店の家庭で育ち、現在も趣味にファッションを挙げる植村さんらしい仕事の一つです。
後年にはファッションに関心の薄いペロちゃんの服も植村さんが選ぶようになり、2026年のインタビューでも、ペロちゃんが着ていた服は相方が選んだものだと話していました。
2020年、KOC初準決勝へ進んだころには家庭で父親に
賞レースでは、2020年にキングオブコント準決勝へ初めて進出しました。
ここから一気に決勝へ進んだわけではなく、その後は2021年から2024年まで4年連続で準々決勝敗退が続きます。
一方、植村さんの私生活にも変化がありました。
2025年のTBSインタビューでは、自身に2人の子どもがいることを明かしています。
「子どもも2人いるので、かっこいいお父さんの姿を見せて」
TBSテレビ「キングオブコント」
配偶者については氏名や職業などを詳しく公表した一次情報は確認されておらず、本人が公に話している家庭の姿としては、2児の父であることが分かっています。
2023年『おもしろ荘』出演とM-1一回戦敗退で揺れた時期
2023年の元日には、日本テレビ系『ぐるぐるナインティナイン おもしろ荘』へ出演しました。
元祖いちごちゃんが披露したのは「イルカショー」を題材にしたネタで、全国放送でネタを見せる機会を得ています。
その一方、同じころには賞レースで気持ちが折れかける出来事もありました。
本業はコントでしたが、M-1へ出場して1回戦で敗退したとき、植村さんは本気で芸人を辞めることを考えたと後に語っています。
仕事が大きく増えない中でも、周囲の芸人仲間から以前から「お前らはおもしろい」と言われ続けたことが、活動を続ける支えになりました。
テレビ出演が増え始めた一方で、「芸人を辞めようか」と考える瞬間も同じ時期にありました。
KOCでは4年連続準々決勝、2024年は手応えがあっても敗退
2020年に一度準決勝へ進んだあと、KOCでは4年連続で準々決勝敗退が続きました。
2023年には、これまでのスタイルを変えようと、分かりやすい設定や演技を意識したネタにも取り組みます。
自分たちなりに力が付いた感覚はあったものの、その年も決勝には届きませんでした。
2024年の準々決勝では手応えがあったにもかかわらず敗退し、植村さんはこの先何を変えればいいのか分からなくなったと話しています。
そこで翌年は、方向を大きく変えるのではなく、自分たちが長く続けてきたものへ戻っていきます。
キングオブコント2025で初決勝|変えるより「間」とダークさを伸ばす
2025年の元祖いちごちゃんは、それまで迷っていた芸風を再び見つめ直しました。
新しいスタイルへ寄せるより、すでに自分たちが持っていた特徴を強くする方向へ進みます。
2023年はベタな設定や演技を試し、自分たちの形を探した
2023年に元祖いちごちゃんが意識していたのは「変えること」でした。
設定を分かりやすくしたり、演技を意識したりしながら、賞レースで結果を出せる形を模索しています。
それでも結果につながらず、2024年も手応えのあるネタで敗退しました。
2025年になると、逆に自分たちの中にもともとあった長い「間」やダークなセリフへ意識を戻します。
2025年は「間」とダークなセリフをさらに伸ばして初決勝へ
植村さんは、2025年について、自分たちのスタイルを変えるのではなく、武器をさらに伸ばすことを決めたと話しています。
「僕らの武器である『間』の使い方とか、ちょっとダークなセリフとか」
TBSテレビ「キングオブコント」
若手時代には1分ネタで使いにくかった「間」が、17年近く経ってKOC決勝へ進むための武器になりました。
2025年は5年ぶりに準決勝へ戻ると、そのまま初の決勝進出を決めます。
決勝ではスーパーの試飲コーナーを舞台にした不穏なコントを披露し、447点で9位となりました。
地下ライブ仲間と駅地下で飲み続けた日々
KOC決勝へ進むまでの時期、元祖いちごちゃんは地下ライブの芸人たちとの付き合いも続けていました。
植村さんが名前を挙げているのがモダンタイムスと虹の黄昏です。
ライブが終わると店ではなく、駅の地下にあるくぼみへ行き、そこで酒を飲むこともありました。
モダンタイムスから「ここならトイレも近いからほぼ店だ」と言われ、暑い日も寒い日も外で飲んでいたそうです。
植村さんは、早く売れて芸人仲間と店で飲みたいという気持ちをモチベーションの一つとして話していました。
決勝進出が決まったときも、周囲の芸人たちが強く喜んでいたことを、後から映像で知ったと2人は話しています。
2児の父として「かっこいいお父さんの姿を見せたい」と語る
KOC2025の決勝前、植村さんは賞金の使い道を聞かれ、自分の芸人人生と家族について答えています。
長く芸人を続ける中で友人付き合いなど失ってきたものもあると話し、お金を稼いで取り戻したいという言葉に続けて、2人の子どもについて触れました。
芸人として結果を出すことに加え、「父親として子どもに見せる姿」も植村さんが決勝を迎える理由の一つになっていました。
18歳で5万円を持って北海道を離れた植村さんは、この時点では自身が家庭を持ち、子ども2人の父親としてKOCの舞台へ向かっていました。
2026年、2年連続KOC決勝へ|18年のアルバイト生活に区切り
KOC2025で初めて決勝を経験した後も、植村さんはテレビ仕事だけで生活できる状態になったわけではありませんでした。
2026年にはラジオ番組が始まり、さらにKOCで再び決勝へ進むことで、長く続いた生活に一つの変化が起きます。
GERA NEXT LIVE優勝から「いちご1000%」レギュラーへ
2026年5月22日、次世代ラジオパーソナリティを発掘する「GERA NEXT LIVE」が開催され、元祖いちごちゃんが優勝しました。
その結果、半年間の期間限定レギュラー番組として「元祖いちごちゃんのいちご1000%」が決定します。
初回は2026年6月9日に配信され、以降は毎週火曜日20時の番組となりました。
コンビ名の由来にも登場した漫画『いちご100%』を思わせるタイトルが、長い年月を経て自身の冠番組にも使われています。
キングオブコント2026で2年連続の決勝進出が決定
2026年9月10日、キングオブコント2026のファイナリスト10組が発表されました。
そこには前年に続き、元祖いちごちゃんの名前がありました。
2025年の初決勝に続く、2年連続2度目のキングオブコント決勝進出です。
2026年大会の決勝は10月17日に予定されており、2026年9月13日時点では結果はまだ出ていません。
一度決勝へ出ただけではなく、翌年も再び10組の中へ残ったことで、長く続けてきた元祖いちごちゃんのコントがもう一度大きな舞台へ進むことになりました。
決勝進出直後、18年間続けたアルバイトを辞める
KOC2026の決勝進出が決まった翌日の9月11日、植村さんは自身のXで大きな決断を明かしました。
18年間続けてきたアルバイトを辞めたことを報告したのです。
18歳で上京し、東京NSCへ入ったのも約18年前でした。
つまり芸人として活動してきた時間のほぼ全体に、アルバイトのある生活が重なっていたことになります。
投稿では、芸人の収入だけで食べていける保証はなく、現状も十分に稼げていないことを率直に書いたうえで、それでも芸人一本へ進む意思を示していました。
小学3年生で口にした「芸人になる」という言葉から約28年、アルバイトをしながら続けてきた生活に初めて区切りをつけました。
北海道新ひだか町で『めちゃイケ』を見ながら芸人を夢見て、高校の先生が持ってきたM-1甲子園のビラからNSCを知った植村侑史さん。
5万円を持って上京した18歳は、ハイパーペロちゃんとの出会い、一度断られたコンビ結成、トリオ時代、ほとんど舞台に立てなかった吉本時代、事務所移籍を経て、2年連続でキングオブコント決勝へ進むところまで来ました。
かつて短いネタでは使いにくかった長い「間」を残したまま、2026年10月17日の次の舞台へ向かいます。












コメントを残す