人物プロフィール
「女芸人No.1決定戦 THE W 2023」で決勝へ進出した、姉妹お笑いコンビ「梵天」の姉・薪子さん。
妹のしおたむさんとの遠慮のない掛け合いで漫才をする現在の姿からは少し意外ですが、芸人になる前は神奈川県で地域メディアの記者として働いていました。
しかも学生時代から一直線にお笑いを目指したわけではなく、大学を卒業して社会人生活を送り、26歳になってから会社員を続けながら太田プロの養成所へ通い始めています。
そこには、先に会社を辞めた実の妹から約1年間誘われたことや、周囲には芸人を目指していることをほとんど明かさず、相模原への通勤と養成所を行き来していた時期がありました。
沖縄でどんな家族の中で育ち、新聞記者になった薪子さんが、なぜ20代半ばで進路を変えて妹と芸人になったのか、その道のりを順番にたどります。
薪子の生い立ちと家族|沖縄・うるま市で育った4人きょうだいの姉
薪子さんは1994年7月20日、沖縄県うるま市出身で、現在の相方であるしおたむさんとは2歳違いです。
家族の中では、のちに一緒に芸人になる妹だけでなく、兄と弟もいる4人きょうだいとして育ちました。
兄と妹・しおたむ、弟がいる4人きょうだいで育つ
文化放送「大竹まこと ゴールデンラジオ!」に梵天が出演した際には、父親が公務員だったことや、きょうだいが4人いることを姉妹自身が明かしています。
沖縄らしく家族や親戚が集まる機会も身近にあったようで、薪子さんは後年、お盆に親戚一同が集まり、居間の大きなテレビで沖縄出身のお笑いコンビ・ハンジロウのコントを見て、みんなで笑った思い出を紹介しています。
子どものころから「将来は芸人になる」と決めていたわけではありませんが、家族や親戚が同じテレビを囲んでお笑いを見る時間は、沖縄で過ごした記憶の中に残っています。
石川中から球陽高校へ|学年で唯一の「ツッコミ係」だった学生時代
沖縄テレビの「Dokyoハブストーリー」では、薪子さんとしおたむさんが石川中学校の出身で、その後そろって沖縄県立球陽高校へ進学したことが紹介されています。
このころの薪子さんを知るうえで面白いのが、高校時代にすでに「ツッコミ役」のような立ち位置だったというエピソードです。
2024年に沖縄で行われたトークイベントでは、エピソードトークを披露したがる同級生たちの話を聞きながら、薪子さんがツッコミを入れて場を回していたことが紹介されました。
高校では「学年で唯一のツッコミ係」だったというから、少なくとも人の話を受けて言葉を返す役割は、芸人になるずっと前から日常の中にありました。
「県外に出て気づいたんですけど、沖縄の人って当たり前にトークが上手なんですよ。」
あなたの沖縄
薪子さんは、沖縄の人には相手を楽しませようとするサービス精神があるのではないかとも話しており、地元を離れてから、学生時代には当たり前だった会話の空気をあらためて意識するようになったようです。
琉球大学から地域新聞の記者へ|芸人とは別の道を歩んだ20代
高校を卒業した薪子さんは、そのまま芸能の世界へ向かったのではなく、沖縄県内の琉球大学へ進学しました。
大学卒業後もお笑いとは別の進路を選び、本格的に社会人として働き始めます。
球陽高校卒業後は琉球大学へ進学
太田プロダクションの公式プロフィールにも琉球大学卒業と明記されており、妹のしおたむさんも高校卒業後は関西学院大学へ進みました。
姉妹は同じ中学・高校で過ごしたあと、大学以降はいったんそれぞれ別の道を歩いています。
薪子さんが大学時代に芸人を志望して養成所へ通っていたという経歴はなく、大学卒業後にはまず「記者」として社会に出ました。
相模原の地域メディアで記者として働き、著名人や政治家も取材
就職先は、神奈川県内などで地域情報を発信する「タウンニュース」で、相模原エリアを担当していました。
太田プロ公式プロフィールではライター経験4年とされ、有名人、スポーツ選手、政治家などを取材した経験もあると紹介されています。
日刊スポーツのインタビューでは、政治家の小泉進次郎さんを取材した経験も紹介されており、単に記事を整理する内勤ではなく、実際に人と会って話を聞き、原稿を書く仕事をしていました。
現在の太田プロ公式プロフィールでも薪子さんの特技には「記事を書く」と記載されており、芸人になった後も文章を書く仕事は残っています。
芸人になる前の約4年間、人の話を聞いて記事へまとめることが薪子さんの日常でした。
社会人4年目の冬、幼なじみと千歳烏山でルームシェアを始める
社会人4年目の冬になると、生活に大きな変化が起きます。
それまで職場の近くで暮らしていた薪子さんは、東京都世田谷区の千歳烏山へ引っ越し、幼稚園時代からの幼なじみの家でルームシェアを始めました。
相模原の職場までは、新しい家から片道1時間以上かかります。
当然、同僚からはなぜ会社から遠い場所へ引っ越したのか不思議がられましたが、薪子さんは「世田谷区に住みたくて」と説明していました。
しかし、千歳烏山を選んだ背景には、会社の同僚には話していなかった別の生活が始まっていました。
26歳で会社員のまま養成所へ|妹の誘いで芸人を目指す
千歳烏山へ移ったころ、薪子さんは相模原で記者を続ける一方、東京都内にある太田プロエンタテインメントカレッジにも通っていました。
ここで初めて、新聞記者として進んでいた人生に「芸人」というもう一つの道が重なります。
SEを辞めたしおたむが、会社員の姉を約1年間誘い続ける
先に動いたのは妹のしおたむさんでした。
大学卒業後、しおたむさんはシステムエンジニアとして就職したものの、約1年で会社を退職しています。
そして、すでに記者として働いていた姉を芸人へ誘い始めました。
日刊スポーツのインタビューによると、しおたむさんは姉を約1年間かけて誘っており、当時は数十万円の借金も抱えていました。
しおたむさん自身は「芸人で一獲千金」という発想もあったと話していますが、薪子さん側には別の理由もありました。
「近くで身内が見ていないとやばいなと思ったのもある」
日刊スポーツ
約1年間続いた妹からの誘いを受け、薪子さんも会社員を続けたまま芸人を目指す側へ回りました。
幼いころから一緒だった姉妹が、一度は別々の大学と職業へ進み、20代半ばになって再び同じ進路を選ぶことになります。
太田プロを選んだ理由は費用とアルコ&ピース
数ある芸人養成所の中で2人が選んだのは、太田プロエンタテインメントカレッジ東京校でした。
日刊スポーツのインタビューでは、ほかの養成所と比較して入学費用が抑えられたことに加え、薪子さんがアルコ&ピースのファンだったことも理由として挙げられています。
特にアルコ&ピースのラジオをよく聴いていた薪子さんにとって、同じ太田プロは身近に感じられる所属先でした。
養成所へ通っていた時期には、街中で偶然平子祐希さんと遭遇したこともあり、その場で声をかけてもらっています。
その後、本当に仕事で共演する機会が訪れ、薪子さんが当時の出来事を平子さんに伝えたところ、本人は覚えていなかったというオチまで付いていました。
憧れていた芸人と同じ事務所の養成所へ入り、会社員と芸人志望の二つの生活が始まりました。
養成所通いを知っていたのは妹・弟・幼なじみの3人だけ
ただし、薪子さんは「芸人を目指している」と周囲へ堂々と宣言して養成所へ入ったわけではありません。
本人がSUUMOタウンへ寄稿したエッセイによると、当時養成所へ通っていることを知っていたのは、相方となる妹、東京に住んでいた弟、同居していた幼なじみの3人だけでした。
仕事の愚痴や悩みは普段なら周囲に話すタイプだったという薪子さんにとって、大きな進路変更を長期間秘密にしておく生活は負担にもなっていました。
26歳で会社員をしながら芸人を目指していることを、職場の同僚や多くの友人には伏せていました。
千歳烏山から相模原へ通勤しながら、お笑いを学んだ日々
千歳烏山へ移ったことで、通勤時間は以前の倍ほどになりました。
朝は都心へ向かう電車が混雑する一方、薪子さんが職場のある相模原方面へ向かう車両は比較的空いており、座れることもあったそうです。
会社へ向かう電車の中では、この年齢から芸人になってよいのかという迷いも浮かんでいました。
「なんか逆走してるみたいだな、26歳で芸人になろうとしている私の人生みたいだな」
SUUMOタウン
空いた車内でそんなことを考え、少し泣いたこともあったと本人は書いています。
記者として働く毎日を続けながら、誰にも広く知らせないまま芸人へ進む準備をしていた時期でした。
やがて養成所を卒業するころには会社を退職し、新聞記者と芸人志望を並行する生活は終わります。
太田プロ19期卒業と梵天のプロデビュー|姉妹で漫才を始める
薪子さんとしおたむさんは、太田プロエンタテインメントカレッジ東京校の芸人コース19期として学びました。
2022年3月に養成所を卒業すると、姉妹コンビ「梵天」としてプロの活動が本格的に始まります。
養成所卒業を前に記者の仕事を辞め、芸人一本へ
太田プロ公式プロフィールでは2022年3月に19期を卒業したことが記載され、お笑いナタリーでは梵天のプロデビューを2022年4月としています。
一方、日刊スポーツでは「2021年4月結成」と紹介されており、M-1グランプリ公式では結成年が2022年4月1日になっています。
しおたむさんへの2025年のインタビューでは、2人は2021年に太田プロの養成所へ入り、在学中から活動していたことが確認できます。
そのため、2021年の養成所在学中から姉妹で組み始め、2022年3月に卒業し、同年4月からプロとして活動を始めたと整理すると経過が分かりやすくなります。
新聞記者として働いていた薪子さんは、ここで芸人を本業とする生活へ切り替わりました。
「梵天」の名前は『東京リベンジャーズ』から
姉妹が付けたコンビ名は「梵天」です。
名前の由来は、和風の言葉を適当に選んだものではなく、漫画『東京卍リベンジャーズ』に登場する組織「梵天」から取られています。
薪子さんは趣味にアニメを挙げており、コンビ名にも2人が親しんできた漫画文化がそのまま入る形になりました。
薪子がツッコミ、しおたむがボケ|姉妹の日常を漫才にする
梵天の漫才では、基本的にしおたむさんがボケ、薪子さんがツッコミを担っています。
2023年のTHE W前の日刊スポーツの取材では、2人の普段のやり取りがネタのベースになっていると紹介されました。
初単独ライブ「家宝」が決まった際には、しおたむさんが「お姉ちゃんに沢山ネタ書いてもらいます」とコメントしており、薪子さんがネタ作りでも中心的な役割を担っています。
高校では同級生の話へツッコミを入れていた薪子さんが、今度は妹の言動を受けて舞台上で返していく形になりました。
実の姉妹だからこそ出てくる普段の距離感が、梵天の漫才へ持ち込まれています。
千歳烏山で続けたネタ合わせと若手ライブ
会社を辞めた後も、薪子さんは千歳烏山での生活を続けました。
若手芸人になってからは、新宿や下北沢などライブ会場の多い街へ出やすい千歳烏山が活動拠点としても便利になっていきます。
特によく利用していたのが、夜になると人が少なくなる区役所前の広場でした。
涼しい時期になると、薪子さんとしおたむさんはそこで声を出しながら漫才のネタ合わせをしていたと、本人のエッセイに写真付きで残されています。
プロデビューしたばかりの2022年6月には、公式Xでライブについて「大スベリした」と投稿した夜もあり、そのまま姉妹で酒を飲みに行っていました。
同じ年の太田プロ「月笑」にも出演しており、養成所を出てすぐの時期から、劇場や若手ライブでネタをかける日々が続いていきます。
芸歴5カ月でTHE W準決勝|2年目には決勝の舞台へ
梵天の場合、何年間も賞レースで結果が出なかったわけではありません。
プロとして活動を始めると、かなり早い段階で大きな舞台へ名前が載り始めました。
2022年、プロデビュー直後にTHE W準決勝進出
2022年4月にプロデビューした梵天は、その年の「女芸人No.1決定戦 THE W」へ出場しました。
お笑いナタリーによると、同年9月には芸歴わずか5カ月で準決勝へ進出しています。
養成所を卒業してから半年も経っておらず、区役所前でネタ合わせをし、若手ライブへ出ていた時期に全国規模の賞レースで準決勝まで残りました。
26歳から養成所へ入った一方、プロになってからTHE W準決勝へ届くまでの時間は約5カ月でした。
2023年に初の決勝進出|若手ライブの途中から全国放送へ
翌2023年もTHE Wへ挑戦し、11月には太田プロからファイナリスト入りが正式に発表されます。
決勝は2023年12月9日に日本テレビ系で生放送され、梵天はハイツ友の会、紅しょうが、変ホ長調と同じBブロックに入りました。
プロ2年目で、THE Wの地上波決勝へ初めて進出しました。
決勝ではその年に優勝する紅しょうがとの対戦で敗れましたが、それまで出られる位置ではなかった太田プロ主催ライブ「月笑」の年間大会へ、THE Wファイナリストとしてゲスト出演することになりました。
当時の薪子さん自身は、梵天が本来所属していたのは「月笑」のG2よりさらに下のG3だと話しており、テレビの大舞台と事務所ライブでの現在地にはまだ差がありました。
全国放送の決勝へ進んだ時点でも、事務所ライブでは下のランクから上がっている途中だったというのが、梵天の2年目でした。
決勝進出後も太田プロのライブで経験を重ねる
THE W決勝の2日後には「月笑2023 クライマックスシリーズ」へ出演し、梵天は再び漫才を披露しています。
そのステージでも、しおたむさんのボケに対する薪子さんのツッコミが太田プロ公式レポートで取り上げられました。
2023年の決勝進出だけで賞レース挑戦が終わったわけでもなく、梵天はTHE W 2024、2025でも準決勝まで進んでいます。
2022年から4年続けて、THE Wでは準決勝以上へ進出する結果を残しました。
THE W後もライブを続ける梵天|沖縄と記者経験を持つ芸人として現在へ
THE W 2023で全国放送の決勝へ進んだ後も、薪子さんの活動がテレビ出演だけに変わったわけではありません。
梵天は舞台で漫才を続けながら、ラジオや単独ライブ、配信などへ少しずつ活動を広げていきました。
2024年には初単独ライブ「家宝」を開催
2024年8月には、東京・関交協ハーモニックホールで梵天初の単独ライブ「家宝」を開催しました。
ネタだけでなく企画コーナーも組まれ、しおたむさんは開催発表時から、姉にたくさんネタを書いてもらうとコメントしています。
同年4月には「オールナイトニッポンPODCAST」で梵天が月替わりパーソナリティを担当し、コンビ初の冠番組も経験しました。
沖縄で行われた2024年のトークイベントでは、薪子さんが東京を中心に月平均20本ほどライブへ出演しているとも話しており、THE W決勝後もネタをかける本数を積み重ねていました。
新聞記者だった経験は、芸人になった後も「書く仕事」に残る
芸人になったことで、記者時代の仕事が完全に途切れたわけでもありません。
2024年にはSUUMOタウンで、自身が暮らす千歳烏山について薪子さん本人が長いエッセイを書いています。
そこには記者として会社へ通っていた時期、養成所を周囲に隠していたこと、芸人になった後に妹とネタ合わせをする場所まで、本人にしか書けない生活の場面が残されました。
記者を辞めて芸人になった後も、「記事を書く」は現在まで薪子さんの特技として残っています。
お笑いナタリーの企画では好きな芸人のネタについて自ら文章を書き、センチネル、ハンジロウ、エバースのネタを取り上げるなど、漫才を見る側としての言葉も残しています。
現在も姉妹で漫才を続ける梵天
2025年の太田プロ「月笑」でも梵天は姉妹漫才師として紹介され、しおたむさんと薪子さんの関係そのものを使った漫才を披露しています。
2026年3月には恋愛リアリティーショーを題材にした漫才、同年5月にも「月笑」のG2へ出演しており、THE Wファイナリストになった後も事務所ライブでネタを続けています。
2023年のインタビューで薪子さんが目標として名前を挙げたのは、同じ姉妹漫才コンビの海原やすよ ともこでした。
新聞記者だった姉と、SEを辞めた妹が20代半ばで同じ養成所へ入り、姉妹コンビとして漫才を続けています。
沖縄で同級生の話にツッコミを入れていた学生時代を経て、薪子さんは大学を卒業し、約4年間は記者として働きました。
26歳で妹からの誘いを受け、会社員のまま養成所へ通い始めた選択から梵天が生まれ、プロ2年目にはTHE W決勝へ進みました。
現在も妹のしおたむさんとライブで漫才を続けながら、記者時代から持っていた「書く」という仕事も残したまま活動を続けています。












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