青色1号・榎本淳の生い立ちと家族|小学生で芸人を志し、大学芸会最下位からトリオ結成へ

人物プロフィール

本名
榎本淳
生年月日
1992年5月29日
身長
162cm
血液型
B型
出身地
神奈川県 相模原市
コンビ・グループ名
青色1号
相方・メンバー
カミムラ、仮屋そうめん
結成年
2017年
所属事務所
太田プロダクション
芸人活動開始年
2014年
養成所・スクール
太田プロエンタテイメントカレッジ 6期

お笑いトリオ「青色1号」でコントを続けてきた榎本淳さんは、2025年にキングオブコント初決勝へ進み、4位に入りました。

2024年のABCお笑いグランプリ準優勝、太田プロライブ「月笑」の2024・2025年年間王者と結果が続きましたが、榎本さんがお笑いの道を考え始めたのは小学生のころまでさかのぼります。

テレビのコントに憧れ、大学では実際に舞台へ立ったものの、大学対抗のお笑い大会ではわずか1票で最下位という結果も経験しました。

それでもプロになる考えは変わらず、大学4年で養成所へ入り、そこで現在のメンバーにつながる出会いが生まれます。

最初から現在の3人で青色1号を始めたわけではありません。

榎本淳の生い立ちと家族|相模原で育ち、小学生で芸人を志す

榎本淳さんの出身地は神奈川県相模原市です。

小学校から高校までの詳しい学校名や、幼少期に家族とどのような家で暮らしていたのかといった細かな家庭環境は、公に語られている情報が多くありません。

一方、後年の本人の発言からは、父親、母親、弟がいることや、家族がお笑い活動を応援していることが分かっています。

神奈川県相模原市で育った榎本淳と家族

太田プロダクションの公式プロフィールでは、榎本さんは1992年5月29日生まれ、神奈川県相模原市出身と紹介されています。

学生時代までの家族の詳しい暮らしぶりはほとんど表に出ていませんが、成人後にはライブへ家族が足を運ぶ様子を本人がたびたび話すようになりました。

地元との縁も芸人になってから切れておらず、のちに相模原市で開かれたお笑い大会で青色1号が優勝し、市の公式SNSから応援されるところまでつながっていきます。

「笑う犬」に夢中になり、小学生で「将来はお笑い」と決める

榎本さんがお笑いを仕事として意識するきっかけになったのは、フジテレビ系で放送されていた『笑う犬』シリーズでした。

出演者がユニットでコントをしたり、それぞれのキャラクターになりきったりする姿を見て、「自分もやってみたい」と感じたといいます。

憧れていた芸人はウッチャンナンチャンの内村光良さんでした。

まだ小学生のうちに、将来はお笑いをやるという考えが本人の中に生まれていました。

「将来はお笑いをやろう」

TVガイドWeb

ただし、この時点ですでに人前でネタを披露していたわけではなく、実際にお笑いを始めるのは大学に進んでからでした。

和光大学でお笑いを始め、最初の舞台で大きな手応え

高校卒業後、榎本さんは和光大学表現学部総合文化学科へ進学しました。

大学にはお笑いサークルのような活動があり、小学生のころから頭にあった「お笑い」を、ここで初めて自分自身が演じる側として始めます。

大学1年で先輩とコンビを組み、学内ライブへ

最初に舞台へ立ったのは大学1年生のときで、相手は大学の先輩でした。

学内ライブで披露したネタは、本人の記憶ではかなり客席に受けました。

初めて人前でネタをやって反応が返ってきたことで、2人は「自分たちはいける」と感じ、その勢いで大学生のお笑い大会へ出ることになります。

ところが、学内で感じた手応えは次の舞台で大きく変わりました。

2011年「大学芸会」で1票の最下位に

2011年、榎本さんの大学は大学生のお笑い大会「大学芸会」の初回大会へ出場しました。

結果は、大学のチームに入った票が1票で最下位でした。

同じ学生お笑いの舞台には、後にプロになる芸人たちも参加しており、他大学のチームが客席を沸かせる姿も目の前で見ています。

学内ライブでは大きく受けたのに、外へ出た最初の大会では最下位。

榎本さんはそこで外部の大学お笑いからはいったん距離を置き、その後は学内を中心に活動するようになりました。

学生お笑いから距離を置いても「卒業後が勝負」とプロを目指す

大学芸会で結果が出なかったからといって、お笑いそのものを諦めたわけではありませんでした。

学外の学生お笑いで勝負することと、卒業後にプロになることを本人の中では分けて考えていたようで、大学生活の先には芸人になる道を残していました。

「卒業してからが勝負って感じで切り替えてました」

logirl

大学で一度最下位を経験したあとも、プロになるという進路は消えませんでした。

大学4年生になると、その考えを実際の行動へ移します。

大学4年で太田プロ養成所へ|芸人になるため最初に動いた2014年

2014年、大学4年生だった榎本さんは太田プロエンタテイメント学院東京校・芸人コース6期へ入りました。

大学を卒業してから考え始めたのではなく、在学中にプロへの入口へ進んでいます。

太田プロの先輩がいたことから芸人コース6期を選ぶ

数ある養成所の中で太田プロを選んだ理由の一つは、大学の先輩がすでに同学院の4期、5期にいたことでした。

知っている先輩が続けて進んでいた場所だったこともあり、榎本さんはその後を追うように6期へ入ります。

この6期には、後に青色1号を組むことになるカミムラさんと仮屋そうめんさんもいました。

ただし、3人は入学時からトリオだったわけではなく、それぞれ別の相手と活動を始めています。

33万円の学費をアルバイト代から払い、養成所生活へ

当時の太田プロの養成所は、入学金と授業料を合わせて33万円でした。

榎本さんは、その費用を自分が働いて得たアルバイト代から支払っています。

小学生のころに思い描いた「芸人になる」が、ここで生活費とは別に自分で学費を用意する現実的な進路になりました。

養成所へ通いながら最初に組んでいた相手は、現在の青色1号のメンバーではありませんでした。

最初の相方は演劇へ進み、コンビ活動の先が見えなくなる

榎本さんが当初組んでいた相方は、途中から興味がお笑いより演劇へ向かうようになりました。

やがて養成所にも来なくなり、コンビをこのまま続けられるのか分からない状態になります。

ちょうど同じころ、別の相手と組んでいたカミムラさんのコンビも終わりを迎えました。

この2つの解散が重なった時期に、後の青色1号につながる声が榎本さんへ掛かります。

カミムラとの出会い|2人の「青色1号」が始まる

養成所の同期だった榎本さんとカミムラさんですが、最初から親しく話していたわけではありませんでした。

クラスが分かれていたこともあり、関係が動いたのは授業中ではなく、同期たちが集まった飲み会でした。

別クラスだった2人をつないだ養成所の飲み会

当時のクラスはAとBに分かれており、榎本さんはカミムラさんとは別のBクラスにいました。

合同の飲み会で席が近くなり、カミムラさんがふざけたことを言うと、榎本さんがそこへツッコミを入れました。

養成所ではそれまで榎本さんをあまり意識していなかったカミムラさんが、このやり取りで「ツッコミができる」と気付きます。

「意外とツッコめるな」

withnews

榎本さん自身は、その前からカミムラさんの存在を知っていました。

ツッコミを見込まれ、解散直後にカミムラから誘われる

やがて互いのコンビがほぼ同じタイミングで解散すると、カミムラさんから榎本さんへ一緒に組もうという話が出ました。

元相方が養成所へ来なくなり、先の見えない状態だった榎本さんに迷いはなく、その誘いを受けています。

現在の青色1号につながる最初の2人は、養成所の飲み会で見つかった「ツッコミ」と、互いの解散時期が重なったことで組むことになりました。

この2人の段階ですでにコンビ名は「青色1号」でした。

ラーメンズ・バナナマン・東京03に影響された静かな初期コント

2人で組んだ直後の青色1号は、現在知られている3人のコントとは空気が少し違っていました。

最初の舞台で演じたのは、椅子に座り「綾瀬はるかと付き合えた」といった話を言い合う会話劇タイプのコントでした。

大きく動くネタではなく、細かな演技と会話で見せるスタイルを選んでいます。

当時はラーメンズ、バナナマン、東京03の影響を強く受けており、繊細な演技で見せるコントを目指していました。

しかし2人での初舞台は、大学時代の最初の舞台ほどの大きな手応えにはなりませんでした。

養成所の約30組から所属5組を目指した2人時代

当時の太田プロの養成所では、1年間を経ておよそ30組が残り、そこから事務所所属を認められるのは5組ほどだったとカミムラさんが振り返っています。

青色1号の2人も、まずはその5組へ入ることを目標に活動しました。

榎本さんたちは「一番を取らなければ」と力むより、所属圏内へ残ることを現実的な目標にしています。

養成所で出会った2人は、派手なスタートではなく、まず太田プロに所属するための5枠を目指してコントを続けました。

事務所所属後の若手生活|ディズニーを辞め、学童保育で働く

榎本さんとカミムラさんは養成所を卒業し、青色1号として太田プロで活動を続けることになります。

舞台へ出る芸人生活が始まっても、すぐにお笑いだけで暮らせる状態になったわけではありません。

2015年3月に養成所卒業、太田プロ所属へ

2015年3月、榎本さんたちは太田プロエンタテイメント学院東京校芸人コース6期を卒業しました。

養成所で出会ったカミムラさんとのコンビ「青色1号」で事務所所属となり、本格的にライブへ出る若手芸人生活が始まります。

一方、仮屋そうめんさんはこのころ、まだ別のコンビで活動していました。

現在の3人体制になるまでには、ここからさらに約2年あります。

所属を機にディズニーリゾートのアルバイトを退職

養成所時代まで、榎本さんは東京ディズニーリゾートでアルバイトをしていました。

養成所を卒業し、太田プロへの所属が決まったタイミングでこの仕事を辞めています。

ディズニーでの接客では、自分が担当するエリアの「住人」として振る舞い、相手や場面に応じて言葉遣いも変えていました。

このころ身についた接客時の切り替えについては、何年も後になって榎本さん自身がコントの演技との共通点を話しています。

地元・相模原近くで学童保育を続けながらライブへ

ディズニーリゾートを辞めた後は、地元の小学校の学童クラブでアルバイトを始めました。

子どもたちと接する仕事をしながら、青色1号としてライブへ出演する生活を続けます。

まだテレビで広く知られる前で、舞台とアルバイトを行き来する時期でした。

その間にも、カミムラさんが書くネタには2人だけでは演じにくい設定が増えていきます。

2017年に仮屋そうめん加入|トリオになった青色1号

カミムラさんと榎本さんが2人で活動して約2年たったころ、青色1号の形を大きく変える出来事が起きました。

養成所同期の仮屋そうめんさんが加わり、現在のトリオになります。

2人なのに「3人必要なネタ」が増え、トリオを考え始める

2人時代の後半になると、カミムラさんが考える設定の中に3人でなければ成立しにくいネタが増えていました。

榎本さんとの間でも、いつか適した人物が見つかれば3人組にする可能性について話すようになります。

そこで偶然重なったのが、同じ養成所出身だった仮屋さんのコンビ解散でした。

養成所トップクラスだった仮屋のコンビが解散

仮屋さんは当時、大学時代からの相方と「フィルダースチョイス」というコンビで活動していました。

養成所時代にはライブで常に上位にいたコンビで、カミムラさんも「最初から漫才として成立していた」と記憶しています。

ところが活動を続ける中でコンビは解散し、仮屋さんはおよそ2カ月間ピンで舞台へ出ることになりました。

ピン活動に難しさを感じていた仮屋さんと、3人目を探していた青色1号のタイミングがここで重なります。

突然の仮屋加入に、榎本は「自分が辞めさせられる」と勘違い

仮屋さんはカミムラさんへ、一度お茶をして今後について話そうと持ちかけました。

ところがカミムラさんは、その場でほとんど迷うことなく加入を受け入れ、その日のネタ合わせへ仮屋さんを連れて行きます。

問題は、榎本さんにその話が十分伝わっていなかったことでした。

養成所時代から成績の良かった仮屋さんが突然ネタ合わせに現れたため、榎本さんは「3人になる」のではなく、仮屋さんと入れ替わりで自分が外されるのではないかと考えます。

「辞めさせられると思ってました」

logirl

本人は当時のストレスで大きなニキビができたことまで覚えていると話しています。

青色1号がトリオになる重要な場面で、榎本さんだけは一時、自分が青色1号を辞める話だと思っていました。

加入翌週のモータースLIVEで、最初のコントから反応が一変

仮屋さんが加わった翌週、3人はヤマザキモータースさん主催の「モータースLIVE」へ出演しました。

コンビ名は「青色1号」のままなのに、いつもの2人に突然1人増えていたため、以前から見ていた客席には戸惑いもあったそうです。

しかし、舞台が始まると最初のコントから反応は良く、周囲からもトリオになって良くなったという声が返ってきました。

ライブ内のランキングでもすぐに1位となって昇格し、上のライブでも1位を取っています。

2人時代に探していた「3人目」が入った最初の舞台から、青色1号のコントへの反応は明確に変わりました。

静かで繊細だったカミムラさんと榎本さんの会話劇に、バカバカしいネタを好む仮屋さんが加わり、現在へ続く3人の組み合わせができていきます。

売れる前の生活|2019年からクレープ店で働きながら舞台へ

トリオになってからも、すぐに芸人の収入だけで生活できたわけではありません。

榎本さんは学童クラブで働いた後、2019年から新しいアルバイトを始めました。

R-1王者・やまもとまさみの店でオープニングスタッフに

地元の近くにクレープ店がオープンすることを知った榎本さんは、オープニングスタッフへ応募しました。

その店のオーナーは、R-1ぐらんぷり2014王者の先輩芸人やまもとまさみさんでした。

当時は面識がありませんでしたが、芸人の先輩が経営する店なら芸人活動と両立しやすいのではないかと考えたことが応募の理由になっています。

接客経験はあったものの、飲食店で働くのは初めてでした。

焼き方を教わった夜にYouTubeで復習し、次の勤務で一人立ち

初めてクレープの生地を焼くことになった榎本さんは、うまくできるかかなり気にしていました。

「性格的に、ちょっと心配性なんです」

withnews

店で焼き方を教えてもらったその日のうちに、自宅でもYouTubeの動画を見て自分なりに練習方法を調べました。

次の勤務では「もう一人で焼ける」と認められ、その日から店頭に立っています。

教わったことだけで終わらせず、次のシフトまでに自分で追加して調べていたという、売れる前の日常が残っています。

ディズニーで覚えた「なりきる接客」がコントの演技にも生きる

クレープ店には子どもから高齢者まで幅広い客が訪れるため、榎本さんは相手によって自然に接客のスイッチを切り替えていました。

そこで役立ったのが、以前働いたディズニーリゾートと学童クラブでの経験です。

ディズニーでは担当エリアの住人になりきって接客しており、お客さんの前に出ると自然にスイッチが入ったと話しています。

コントでも、榎本さんたちは音響や大がかりな小道具へ頼りすぎず、3人が人物を演じて人間関係を見せるネタを多く作ってきました。

接客で誰かになりきっていた経験と、コントで別の人物を演じる感覚は、榎本さん自身の中でもつながっています。

2020年から仕事が動き始める|ゴッドタン、賞レース、THE CONTEへ

トリオ結成後もライブを続けていた青色1号に、テレビから反応を感じる出来事が出てきたのが2020年ごろでした。

その後は賞レースとネタ番組の両方で、少しずつ大きな舞台へ進んでいきます。

2020年「ゴッドタン」でテレビからの反響を初めて実感

2020年、青色1号はテレビ東京系『ゴッドタン』の企画「この若手知ってんのか!?2020」へ出演しました。

カミムラさんと劇団ひとりさんが激しくやり合う展開もあり、番組出演後にはメンバーが街で声を掛けられることが出てきます。

榎本さん自身は、番組内で2人のやり取りを補足する側になり、十分に爪痕を残せなかった悔しさも語っていました。

テレビへ出られたという喜びと、その中で自分が何を残せたかという課題が同時に残った時期でした。

2022年、ABC決勝・KOC準決勝・地元相模原での優勝が重なる

2022年には、ネタでの結果が一気に増えます。

第43回ABCお笑いグランプリで決勝進出し、キングオブコントでは準決勝まで進みました。

さらに地元・相模原で開かれた「第7回サガミハラエッジ芸人バトル」では優勝しています。

ABCの決勝では、東京予選で手応えのあったネタが大阪の客席では思うように受けず、本人たちに悔しさも残りました。

それでもKOC準決勝、地元での優勝と、若手ライブだけではない場所で名前が残る一年になりました。

2023年「THE CONTEへの道」1位で初のゴールデンタイムのコントへ

2023年1月10日、青色1号は東京・よしもと有楽町シアターで行われた「THE CONTEへの道」へ出場しました。

観客投票で1位となり、1月28日放送のフジテレビ系『THE CONTE』への出演権を獲得します。

青色1号にとって、ゴールデンタイムのテレビでコントを披露するのはこれが初めてでした。

小学生のころテレビのユニットコントを見ていた榎本さんが、自分たちのコントをゴールデンタイムで演じるところまで進みました。

初単独ライブには父・母・弟ら「榎本家総出」で来場

同じ2023年6月には、青色1号にとって初めての単独ライブ「ちょっとだけバカ」が東京・座・高円寺2で開催されました。

開催前のインタビューで家族が見に来るのか聞かれた榎本さんは、父親、母親、弟、いとこ、さらに両親の知人まで来る予定だと答えています。

「榎本家総出で来ます」

TVガイドWeb

家族は普段からライブへ足を運び、テレビ出演もすぐに確認し、周囲へ青色1号の活動を話していたそうです。

2022年に地元の大会で優勝した後には相模原市公式SNSから番組出演を告知され、本人も驚いていました。

家族の応援と、地元・相模原とのつながりが、芸人になってから目に見える形で表れるようになりました。

2024年からKOC初決勝へ|ライブで積み重ねた青色1号の現在地

2024年以降は、青色1号が長く続けてきたライブと賞レースで、さらに大きな結果が出始めます。

ただ一度の優勝で突然状況が変わったのではなく、ABC、事務所ライブ、キングオブコントと、別々の舞台で結果が重なっていきました。

ABCお笑いグランプリ2024準優勝と「月笑」初の年間王者

2024年は、青色1号にとってABCお笑いグランプリのラストイヤーでした。

決勝ではBブロックを突破し、最終決戦で令和ロマン、ダウ90000と対戦します。

得点は令和ロマン659点、青色1号655点、ダウ90000が648点で、青色1号はわずか4点差の準優勝となりました。

2022年のABC決勝では大阪の客席で思うような反応を得られなかったと振り返っていましたが、最後の挑戦で最終決戦まで進みます。

最初のABC決勝で残った悔しさから2年後、ラストイヤーは優勝まで4点差でした。

同年には太田プロのネタライブ「月笑」年間チャンピオンにもなり、事務所ライブでも一年を通した結果を残しました。

2025年キングオブコント初決勝で4位

2025年、青色1号はキングオブコントで準決勝35組を勝ち上がり、初めて決勝10組に入りました。

現在の3人体制になった2017年から数えると、トリオで活動を始めて8年目の決勝です。

決勝前の公式インタビューでは、榎本さんは初めての舞台を必要以上に構えるより、まず楽しみたいと話していました。

「とにかく楽しくやれたらと思います」

TBSテレビ「キングオブコント」

10月11日の決勝では458点を獲得し、10組中4位となりました。

大学芸会では1票の最下位だった榎本さんが、プロのコント日本一を決める大会では初決勝4位まで進みました。

「月笑」2連覇から2026年2回目の単独ライブへ

KOC決勝の約2カ月後、2025年12月には太田プロライブ「月笑」のクライマックスシリーズを勝ち抜き、年間王者を2年連続で獲得しました。

年間ポイントでは2位からクライマックスシリーズへ入り、準決勝でさすらいラビー、決勝でライオンロックを破っています。

2026年3月10日、11日には座・高円寺2で、2回目の単独ライブ『オトコハツライヨ』を開催しました。

初単独だった2023年から約3年がたち、その間にABC準優勝、月笑2連覇、KOC初決勝という出来事が加わっています。

若手時代から続けてきた事務所ライブでも、2024年、2025年と続けて年間王者になりました。

2026年KOCは準々決勝まで、トリオとして次の舞台へ

前年に初めて決勝へ進んだ青色1号は、2026年もキングオブコントへエントリーしました。

予選を勝ち上がり、8月14日に東京・渋谷区文化総合センター大和田さくらホールで行われた準々決勝へ出場しています。

榎本さんも準々決勝終了後、自身のXで舞台を終えたことを報告していました。

8月17日に発表された準決勝進出35組に青色1号の名前はなく、2026年大会は準々決勝で終了しました。

前年に初決勝へ届いた翌年も、再び同じ大会へ挑み、予選から準々決勝まで舞台を重ねています。

『笑う犬』を見て「将来はお笑いをやろう」と考えた相模原の小学生は、大学で初めてネタを演じ、最下位も経験しながらプロの養成所へ進みました。

カミムラさんとの偶然のタイミング、仮屋そうめんさんの加入を経て3人になった青色1号は、アルバイトとライブを続けながら少しずつ大きな舞台へ進んでいます。

2025年のキングオブコント初決勝、月笑2連覇、2026年の単独ライブと、榎本さんが小学生のころに見ていたコントの世界で、現在も3人の活動が続いています。

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